ハタチたち by.Concent

Case 01

困難な道を選ばないのが、どうでしょうの誠意
水曜どうでしょう 藤村氏、嬉野氏の「20年」

2016/01/06
1996 年、北海道のローカルテレビ局でスタートした「水曜どうでしょう」。ローカル番組としては異例の大ヒットとなり、レギュラー放送が終了した今もなお、全国には根強いファンがいる。スタッフであり出演者でもある藤村忠寿さん(左)と嬉野雅道さん(右)に「水曜どうでしょう」の20年を聞いた。

「とりあえずなんか深夜番組1本作ってくれ」から始まった旅

― まず、お二人の出会いから教えてください

水曜どうでしょう(以下、どうでしょう)の前身番組「モザイクな夜」でね、藤村くんとはじめて一緒になって。その頃から俺の方は、この人とはやって行けるなって直感はあったけど、この人はどうもそうは思ってなかったみたいね(笑)出会ったばかりで6歳も年上のおっさんと一緒に番組やっても、「動いてくれないんじゃないか」って不安があったらしいね(笑)

実際、あんまり動く人じゃなかったしね(笑)でも、「モザイクな夜」で大笑いしてしまうのは、 みんな嬉野さんの作ったVTRだった。この人、他の人とはやっぱり違っていたから。

― どうでしょうは放送当初、会社からどのように期待されていましたか?

いや〜会社は別に興味なかったと思うよ。何かのつなぎの枠だったんじゃないのかな?

会社からは「とりあえずなんか深夜番組1本作ってくれ」ってだけの発注だったかな。でも、初回から視聴率は4%あったし、周りの人からも好評だったから。全然、普通にやって行けたよね。最初から苦労があったわけではなくて、わりと順風満帆にいってる。

番組のスタイルも初回から既に出来ちゃってたし、結局、変えることなく未だにそのスタイルのままやってるね(笑)。

そういう番組だよね。きっと俺と嬉野さんの思想がよく似てるから、迷いがなかったんじゃないかな。二人の進みたい道が食い違うことはなかったから、結果も予測通りになったし。お客さんもついて来てくれたし、間違いじゃないなって。割と道が見えるから大きな苦労もなかった。

自分が苦しんでるとこを見せるのは、相手にとって嫌なものを見せるってこと

― 6年間続けていたレギュラー放送を辞めることには勇気がいりませんでしたか?

いや、やり続ける方がきついと思ったから(笑)だからやめることは苦渋の決断でもなんでもなかったよ(笑)自分たちにキツいことをし続けたら、きっと見てる方もキツくなる。「何で人気番組なのにやめるの」とか「やめたら視聴者が悲しむよ」って言われて、それを気にしてやめたい気持ちを引っ込めて無理矢理続けて、それで自分たちが苦しくなったら、結局、番組自体も楽しくなくなっちゃうよね。そっちの方が、お互い不幸だろうって思う。だから楽になる方へ進む。

だって我々は毎週放送し続けることに限界を感じていただけで、どうでしょうをやめたいと思っていたわけじゃなかったからね。だったら作ってる人間が苦しくなったら、ついて来る側も苦しくなっていくだろうなって思うから毎週放送することをやめた。でもさ、「毎週放送しているからこそお客さんはついて来てくれる。やめたらお客さんは離れてしまう」って普通は考えると思うんだよ。でも、実際やめてみたらそうでもなかったんだよ(笑)。

我々みたいに楽な方を選択するって発想は、他人からは好き勝手やってるように見られるけど、こっちは、それが誠意だと思ってるんだよね。自分が苦しまない道を選んで進むことは相手に対しての誠意。自分が苦しんでるとこを見せるのは相手に対して嫌なものもおかまいなしで見せつけるってことだからさ。

だから、最初の6年で番組を毎週放送することはとりあえず終わりってのは、どうでしょうを続けていく上では正しい選択だったと思う。結局それでどうでしょうは未だに新鮮なまま生き長らえているからね。

― レギュラー放送(毎週放送)中とその後では何か変化はありましたか?

レギュラー放送をやっていた時よりも、やめてからの方が時間の経過が早くなったね。だからレギュラー放送時代の方が長かった気もする。「あれ? レギュラー放送って6年しかやってないの? 10 年くらいやったんじゃないの?」って。

レギュラー放送当時は何曜日までに素材を上げて、何曜日までにこれやって......って、意外とスケジュールはきっちり決まっていたからね。レギュラー放送を続ける限り、ある程度人生のスケジュールが見えてきちゃう、すると時間って長く感じちゃう。だから5年目くらいから、このままレギュラーで放送を続けるよりも、他のこともやりたいなって思うようになった。それでレギュラー放送終了後はすぐにDVDを作って、演劇やドラマも作って。

真面目だからね。我々は(笑)

― 会社からの意見もあったと思うのですが、取り入れていたのでしょうか

俺らの使命は、この番組の品質管理をし続けることだから、会社の意向であっても俺らの観点から見て無理だと思ったことは、断る。 こっちにはどうでしょうという番組を面白いままに続ける責任があるから「会社の意向に沿う」っていうのは、番組に対しての誠意をなくしていることになるんだよ。

真面目だからね。我々は(笑)

普通は会社の言うこと聞く方が真面目って言われるんだけど、 違うんだよ。俺らは番組に対して真面目なんだ。だから俺と嬉野さんの中で「会社からやれって言われたからやらなきゃいけないですよね」なんて会話は一度もなかった。

性格が悪いわけじゃないのよ(笑)ただ、どうでしょうに関しては俺らが一番詳しいから。だから、ダメなことを断るのも誠意ってもんじゃないかと。

それに会社の意向って、「量産」ってことだったりするからね。肉体的にキツくなったら続けられないじゃない。言われるがまま仕事のスピードをアップしていくと、空中分解しちゃうからね。キャパを超えてしまうと楽しくなくなって、肉体的にも精神的にもやれなくなっていくし。それは作り手も客も損をするわけさ。

― 新しいことをし続けなければいけないというプレッシャーは?

新しいことをしなきゃいけないという言葉に縛られるよりは、「面白い」を飽きるまでやる。人間にはそれしかできないと思う。

新しいことをしなきゃいけないって、すごく力のいることだから。力のいることはしないの。

消耗しちゃいけないのよ。

消耗しちゃったら結局お互い損だからね。 あとは、常に「新しいことをしなきゃいけない」って思い込んでる人は、新しいことをするってことの方に興味があって、実は中身を吟味してないんじゃないかなって思う。

プレゼントの箱のフタを開ける時のワクワクする状況ばかりを想像して、箱の中に何が入ってたらみんなは喜ぶかって考えたことがない人って、いると思うんだよね(笑)

我々の場合は、別に面白いと思ったものだったら、それまでの趣をガラっと変えてもいいと思ってる。新しいものはそのとき自然に出来る。反対に自分たちにとって一番面白いものって考えたら、別に新しいものをしなきゃいけないとも思わない。俺らが「次もサイコロやったら面白いのに」ってなった時に、他の人から「それは古いから、違うもっと新しいことを考えなさいよ」と言われるとキツいわけじゃない? だから、キツいことはしない。

― では「続けなければいけない」という気持ちももちろんなさそうですね(笑)

うん、ないよね。レギュラー放送を続けるのがキツいって思ったから、レギュラー放送はやめたしね。「1年に1回やろうか」って。 でも1年に1回もきつかったら、2年に1回って(笑) 。だから、どうでしょうは「続けなければいけない」ではなくて「4人とも続けていたいでしょ?」ってだけの話だね。

「ほら! タレントも撮って!」「おっ! そうかそうか」

― どうでしょう 1 回目の放送「サイコロの旅」のお話をお聞かせください

【サイコロの旅】
「水曜どうでしょう」にて行なわれた企画のひとつ。運命のサイコロを振り、出た目に応じた6つの選択肢(行き先・交通手段)にしたがって移動し、ゴールである札幌を目指す。

藤やんはね、最初からカメラワークに指示を出したことがないの(笑)

嬉野さんに何か指示を出したのって、どうでしょうの1回目のロケ「サイコロの旅」だけだったかな。「サイコロだけじゃなくてタレントも撮れよ!」って注文しただけ (笑)

一番最初にサイコロが振られた時だよね。俺もカメラマンとしては最初のことだしね、企画上、路上に落ちたサイコロの目だけは、キッチリ撮らなきゃって、そのことばかりが気になって。それでいつまでも道に転がったサイコロ撮ってたら、当然タレント陣はトークを続けてるわけでしょ?(笑)藤やんが「ほら! タレントも撮って!」「おっ! そうかそうか」ってことがあったね(笑)

― 嬉野さんのカメラはタレントを追わず、定点のように「待って」ますよね

フレームから出ていった人には、帰って来てほしいの。それくらいカメラは動かしたくないの。

それも俺と嬉野さんの共通項だったね。

正対した画が好きなの。斜めからとかパースをつけた画よりも、真正面から撮る画が好きなの。そういう絵の好みは共通していたかな。その画が一番落ち着くと思ってるのよ。

―お二人のことですから、どうでしょう20周年に対する感慨って......ないですよね?

20年って言われたって、どうでしょうは俺らの中ではまだ続いているからね。「それが20年経ったのか」ってことだから、感慨もないよね。

俺も新作を作っていなくても、藤やんといる時はどうでしょうを続けてるって感じがするしね。

藤やんは常に何かを破壊してるよ

― 藤村さんってどんな人なんですか?

この人はね、常に何かを破壊してると思うよ(笑)つまりね、社会は我々を縛るもので満ちている。常識とか規範とかもそんなもののひとつかもしれないね。「〜ねばならない、と言われている」的なこと。そういうものに我々は知らぬ間に縛られてるよね。そんな縛りを普通に破壊してる(笑)だってこの人、まず自分の発言に責任を持っていないでしょう(笑) 舌の根も乾かぬうちに前言を撤回して真逆のことを言い出すもんね。ジョークのようだもの。だから縛りを軽くする効果を持っている。

たとえばさ、ここに上司のことで悩んでいる人間がいたとするじゃん。で、俺が「上司ってバカだろう!」っていきなり乱暴なことを言うじゃない。でも今度は上の人と飲んで意気投合したとするじゃない。そしたら俺は「あの人すっげぇいいよ」って平気で言うと思うんだよね(笑)でも「ここに上司のことで悩んでいる人がいる」っていうその状況は、1回「壊さないと」って思うんだよね。

「上司ってバカだろう」 ってとこから始める人、普通いないから、どっかギャグにも聞こえるのよ(笑)社会で生きていくために「こうしなきゃいけない」と思っていることが、この人を見てると全部無駄に思えてくる感じ。

どうでしょうはこの4人で良かったと思う。4人の中に嬉野さんのポジションがあって、俺のポジションがあったから。レギュラー放送が終わってからも世界が広がって、その中にも自分のポジションがあるって分かったから、今の方が楽しいのよ。

人との広がり、出会いってね、「今のあんたでいい」って言ってくれる人と出会うことじゃないのかなって思うよ。「あんたにはこれも足りない、あれも足りない」って言う人が現れても、それは出会いじゃない。「あんた、もう既に面白いものたくさん持ってるじゃない」って具体的に教えてくれる、気づかせてくれる、そういう人が登場する瞬間こそが「出会い」じゃないかな。

「誰か2人死ぬまで続ける」って思ってる(笑)

― 今後の展望を教えてください......って言っても、やっぱり「一生どうでしょうします」ですよね

俺らの中では「誰か2人死ぬまで続ける」って思ってる(笑)

この人こういう人だから最初に自分が死ぬってのは勘定に入ってないんだよね(笑)でも俺は藤やんが死んだ瞬間にどうでしょうは終わると思うよ。この人が死んだ瞬間に、どうでしょうをやる理由が他の3人から無くなる。 つまり、この人がどうでしょうの地べたなんだよ。この人がいるから俺ら3人は それにちゃっかり乗っかってる。

この人は別に完璧な人じゃない。どっちかっていうとザルみたいなところのある人だよ。でも、この人はそのザルのままでロケにやって来て「さあ! やりますか!」って言ってる。それを見て大泉洋が「やりますか! って……おめえは言ってるそばからみんなこぼしてるぞ」って本番で呆れてみせる。その指摘を受けて、この人はこぼしちゃってることにその場で初めて気づいて「あ? オレこぼしてんな」って言いながら、それでも平気でいる(笑)

そこにさ、他の誰にも作り出せない安心感が与えられる地べたがあるのよ。この人が動じないから大泉洋は安心してこの人がザルだってことを指摘して笑える。その瞬間に大泉洋は、この人がこぼしてしまったもの以上の役割を実は自分が持っているってことに思い当たる。こうしてライブ感たっぷりに自分を発見するから、大泉洋の発言は弾けて躍動的に面白いものになって出てくる。だから2人と言わず、まずこの人が死んだら、他の3人は役割を見出せなくなってどうでしょうは終わると思うんだよね。

どっかで俺はね「どうでしょうは番組を見せていくだけじゃなくて、我々がどう生きて行くのかを見せるものだ」って確信しているところがあってね。 会社のホームページで日記を書いたり、本を出したり、サラリーマンなのに芝居を始めてみたり。番組とは関係のないことだけど、でも、それをみんなが見ている。 そうやってこれからも生き方を見せて行くんだろうなってのがあったから、俺も色んなことをやる。番組って結局そういうものだと思うんだよ。

― 最後に新成人へのメッセージを

なんかあれじゃない、楽しくなるのは、10年後。生きるのが 楽しくなるとか、仕事が楽しくなるとかは、10年後だと思う。これからようやく社会に出るわけじゃない。色んなことが広がって来るのはあと10年後だから、重く考えるなって。今はそこでやってればいいよって。

「人生が楽しくないなんてはずがない」それを信じれば良い。 俺もそれを信じようと思うよ。確かに人生、楽しくないこともあったけど、今は一番楽しいかな。だから、その言葉を信じて楽しくなるのを待ちながら、ただ生きているだけでもいいんじゃないのって、思います。

このインタビューに答えた人

右:藤村忠寿(ふじむらただひさ)

1965年名古屋市生まれ。ディレクター。北海道テレビ放送(HTB)コンテンツ事業室に所属する。HTBが制作するバラエティ番組やテレビドラマの演出が本業だが、 演劇やお笑いコンテストの審査員など、その活動は多岐にわたる。「水曜どうでしょう」ではチーフディレクターを務める。

左:嬉野雅道(うれしのまさみち)

1959年佐賀市生まれ。ディレクター、ドラマの企画、脚本。北海道テレビ放送(HTB)コンテンツ事業室に所属する。「水曜どうでしょう」ではディレクター兼カメラマンを務める。愛称は「うれしー」。自著に2015年刊行のエッセイ本「ひらあやまり」がある。

[ライター、カメラマン/小岩井ハナ+酒井栄太(Concent)]

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