ハタチたち by.Concent

Case 07

回り道を、回り道のまま終わらせない
陶芸家 辻恵子の「20年」

2016/01/06
「回り道したからこそ、見つけられたものがある」20年間の自分探しの旅の果て、30代の半ばにして「陶芸家」の道を見つけた女性がいた。宮城県在住の辻恵子さん。河北工芸展では2年連続の受賞を遂げた彼女と「20年間の回り道」の旅に出る。

どんどん知っていくうちに、また飽きて来た(笑)

― 20年前は何をされていたのですか?

ガラッと環境を変えたいと思って、「思い立ったら行動」を実行してたのが20年前でした。当時は輸入雑貨店で働いていたんです。もともと工芸品や民芸品が好きだったので、ゆくゆくは自分で雑貨の買い付けにも行きたいなって考えていたんですけど。でもなんか、飽きっぽいんですよね(笑)その雑貨屋さんを、辞めちゃいました。そこから、回り道の20年が始まります。

― 雑貨屋さんを辞めて、陶芸家になられたのでは……?

いえ、まだです(笑)雑貨屋さんを辞めた後は、4年くらいレストランバーで働きました。カクテルがメインのお店だったので、ある意味それも「ものづくり」でしたね。自分でオリジナルを作って提供するっていうのが楽しかったんです。カクテルって、奥が深いんですよね。で、どんどん知っていくうちに、また飽きて来た(笑)

― また飽きた……!

自分の中にはまり切らなかったんでしょうね、カクテルの奥深さは。で、レストランバーを辞めてからは実家の水産加工会社で働いて。そして29歳で結婚したんですけど、その結婚も、1年くらいでダメになっちゃったんです(笑)で、離婚後また実家に出戻って。

― またダメになっちゃった……

そうなんです。で、離婚してしばらく自由にのんびり暮らしていたら、友達に陶芸教室へ誘われたんです。今からちょうど10年前かな。そしたら見事にはまっちゃって。陶芸自体もそうですけど、薪をくべた時の炎の色に衝撃を受けたんです。

― 炎の色ですか?

炎が、白かったんです。炎って温度が高くなるに連れて段々色が薄くなっていきますよね。赤からオレンジ、オレンジから黄色って感じで。その時見た炎は、白い炎だったんです。かなりの高温。

その時使用した窯は「穴窯」といって、土器を作る「野焼き」の進化系みたいなものです。野焼きは地べたに穴を掘って作品を入れて、藁を焚き火するように焼き上げます。その野焼きの上に窯の部屋を被せたものが、穴窯。

炎って、上にゆらゆらするイメージがありますよね。でも穴窯の中では炎が横に走っていくんです。作品の間を、炎が駆け抜けていく。薪をくべる瞬間にだけ見えるその光が、ずっと見ていても飽きなかったんですよ。

「これが自分だったんだ!」って、教えてもらえたような感覚

― ついに「飽きない」が出てきましたね

そうなんです。穴窯は赤松の薪を燃料にするのですが、その灰が作品に付着して色が変化します。炎の中でガラス質に変化した灰は、どんな色になるか分からない。どこの赤松を使うかでもまた全然変わってくるし、奥が深い世界なんです。

穴窯では3〜5日くらい作品を焼きます。1,300度くらいまで温度を少しずつ上げていって、高温になったら自然に冷ましていく。長く高温で焼くから、丈夫になるんです。だから作品を出せるまでに一週間はかかるかな。

― その「奥深さ」には飽きなかったんですね

粘度も釉薬も焚き方も、一つ一つが無限ですからね。完成した作品の中には、その「世界」が詰まっていて。それがすごく楽しかったんです。

― 陶芸は独学ですか?

いえ。36歳の頃に体験教室で教えてくださった先生のところに弟子入りしました。最初は遊びの感覚で陶芸をしていたのですが、先生が「ちゃんとやってみる気はないの?」って言ってくださって。年齢的にも不安ではあったのですが。「始めるのに遅い早いもないし、陶芸には定年もない。その気になればやれると思うよ」って言葉に背中を押されて、弟子入りしました。

― 自分探しをはじめて20年。陶芸に出会って10年。陶芸自体は1/2成人式ですね。

そうですね。自分探しから20年目になって、ようやくたどり着いた感じがします。「これが自分だったんだ!」って、ようやく教えてもらえたような感覚です。陶芸をやり始めた時はとにかく楽しくてしょうがなかったなぁ。いつも「早く独り立ちしたい!」って思っていました。

でも、あがいても当時はどうにもならなかったんです。陶芸に関わっていながらも、バイトに追われて先が見えづらかったので。でも今はようやく自分の仕事場も持てたし。むしろ今がスタートラインなんじゃないかなって思うんです。

素晴らしい作品に出会った時に受けた感動を、自分も生み出したい

― もしかしてなんですけど、今いただいているこのコーヒーのカップも辻さんの作品ですか?

そうなんです。それも作りました。私は普段オブジェばかり作っているので、実用品を作る時でも使う人の立場を無視しちゃうんです(笑)コップなのに重かったり、洗いづらかったり。

抹茶碗ってあるじゃないですか。飲み口の作り方や薬のかかり方にも決まりがあるんですけど、その決まりを守りつつ、自分の表現を織り交ぜるんですよね。いい作品を見ると、ただの茶碗なのに感動するんです。「これで飲んだら味が変わるんだろうな」って思えるような! どれだけ綺麗でも、使いにくかったらもったいないですからね。まだまだたどり着けないけど、使えるものの美しさってある種究極だと思うので。これから勉強していこうと思っています。

― 陶芸を始めてから印象に残っている出来事はありますか?

河北賞をいただいたのは大きかったかもしれません。河北新報社という地方紙が開催している工芸展があって、2013年と2014年に河北賞という大賞をいただきました。2年連続で受賞するのはあまりないことみたいで、自分も周りもびっくりしました。

― 河北工芸展にはいつから出品されていたのですか?

師事し始めた翌年、2009年から出品していました。師匠に「感覚や技術を向上させるのにもいい勉強になるから」と言われて挑戦したんです。初回から入選はしていたのですが、2011年と2012年は最終段階で割れたりして出品できませんでした。

そんなブランクもあったけれど、河北賞をいただいてからはなんだか解放された気がしました。全く知らない人たちに認めてもらい、より多くの方に作品を見てもらえたので。「あなたはそれでいいんだよ」って言ってもらえた気がしたんです。ようやく真っすぐ前を見れた感じがします。

公募展に出展するのは、何かを伝えたいという使命感があるわけでもないんです。ただ素晴らしい作品に出会った時に受けた感動を、自分も生み出したいって気持ちなのかな。

河北賞を受賞した作品

― すごい! 土で出来ているとは思えないような滑らかな作品ですね

どれも雲をテーマにした作品です。車の運転中や、散歩をしていた時に見つけた雲を作りました。今は波をモチーフにした器も作っています。大体いつも、自然の中にあるものをテーマにして作品を作っていますね。

波をテーマにした作品

― どのような土で出来ているのですか?

信楽の土を使っています。信楽焼の伝統を継承しているわけはないので、「信楽焼」というカテゴリーにはならないとは思いますが。でも展覧会で、同業者の人にも「どうやって作るの?」ってよく聞かれました。ひも作りという、ベーシックな製法で出来ています。ひも状にした粘土を、一段一段積み上げていく、陶芸の基本的な製法です。

「型に粘土を流し込めば簡単に作れるのに」と、おっしゃる方もいました。土は作っている時や乾かす時、焼く時に収縮するので、亀裂が入って割れたりします。そんなことを考えながら土の厚みを調節していくので、型で作ればそんなことは考えなくてもいいのかもしれません。壊れるリスクは高くなりますが、私はひも状にした土を一段一段積み上げて、自分の指で触っていくことで作っていく実感を噛み締めています。

― 外観だけでなく、オブジェの中まで滑らかですね

作品の内側の、見えないところも綺麗にしたいんです。よく「なんでそこまで見えないところを綺麗にするの?」って不思議に思われるんですけど、作品の中だって、影で見えちゃいますよね。作品の影も含めて「全部」だから、綺麗にしたくなるんです。

― これからも公募展などに積極的に出品されるのですか

河北工芸展は地元のイベントなので、これからは東京や京都などの公募展にも挑戦していきたいと思っています。出品すると、色んな作家さんとお話しできるし、作品からも刺激をもらえるので楽しいんです。

それに、公募展に出して評価してもらうことは、一つの指針になっているので。芸術系の大学を出たわけでもないから、他人から評価してもらうということで自信というか、迷いが少しはなくなって来た気がします。

行動しないと何も始まらないから、ビビらなくていいよ!

― この20年間で、辛かった時期はありますか?

ないですね! いつも思うのは、辛いことも嫌なことも、過去のことも全部ひっくるめての自分だということです。当時は「どうにもなんないや」って思っていたことも、次に進むためのステップなんですよね。その先に、今の自分があるから。だから「たいしたことなかったな!」って思います。落ちる時は、すごく落ちるタイプなんですけどね(笑)

― 当時の自分に一言伝えられるなら、何を伝えますか?

「それでいいんじゃない」って(笑)総合的に何の後悔もないんです。すごく遠回りして、回り道しているように見えるかもしれないけれど、「その時」の自分に正直であったから、いいんじゃないですかね。

自分の年齢が上がるに連れて「あと何年やれるんだろう」って不安はありました。今思えばそんなこと気にすることじゃないのにって思いますが。でも、体力的にあと5年くらい早く陶芸を始めていたらとも思いますけどね(笑)

― 新成人にメッセージをお願いします

やっぱり、思いついたら行動!ですかね。私も30歳から陶芸を始めましたし、30歳の自分じゃなきゃ、陶芸に出会った時の衝撃や感動も味わえなかったのかなって思います。それまでの10年間は、そこにたどり着くまでの準備だったのかなって。

遅いとか早いとか関係なくて、自分のスイッチが入る時なんです。それはいつでもいいんだって。行動しないと何も始まらないから、ビビらなくていいよ!って。そう思います。

このインタビューに答えた人

辻恵子(つじけいこ)

1972年、宮城県石巻市生まれ。36歳の頃に陶芸と出会う。2008年、紀国谷真広氏に師事した後、河北工芸展では初回の参加から3度の入賞を果たす。2013年、2014年の河北工芸展では、2年連続河北賞の受賞を遂げた。自然をモチーフとしたオブジェの創作がメインとなる。

[ライター、カメラマン/小岩井ハナ+酒井栄太(Concent)]

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